...この一言に大騒ぎした教育業界の話
投稿:2024年4月6日
私は神戸大学理学部化学科の出身で、大学4年(2002年)の卒業研究の時に、研究室とは別に日本理科教育学会という学会に入っていました。 当時は、文部科学省が俗にいうゆとり教育を最も盛んに進めていた時期で、特に円周率を3で計算するとか、月の満ち欠けの写真は2枚までといった政策を本気で行っていました。
そんな中、ある新聞記事が槍玉に挙げられ、子どもたちの学力低下がここまで深刻な事態に陥っているというキャンペーンが教育界隈で張られていました。それは、飼っていたカブトムシが死んでしまい、動かなくなったカブトムシを両手に抱え、泣きながら「カブトムシの電池が切れちゃった。早くかえて。」と母親に訴えたというものです。この記事に、一部の学者や知識人が反応し、「今の子どもは昆虫が電池で動いていると思っている」「学力低下がついにここまで」と、泣いて悲しんでいる子どもを尻目に、文字通り政治利用のネタにしてしまったのです。
ここまで大袈裟ではないにせよ、言葉の選び方が独特であったり、アニメや動画に影響を受けてセリフや仕草を真似する傾向が強い子どもの場合、大人の感覚では場にそぐわないとされる言葉や言い回しを、割と普通に使ってしまうことがよくあります。ここで、「そういう言い方をしてはいけません」と一方的に価値観を押し付けても、その理由の理解を伴わせなければ、ことあるごとに同じ表現を使ってしまい、最終的に「おかしな子」というキャラが形成されてしまいます。
大人であれば、金曜日が近づくと自身の体調について「あぁもう充電が切れる」と言い方をすることがありますが、子どもはこのシチュエーションや立場の違いによる差異を、言われなければ理解することができません。特にその傾向が強い子どもの場合、教育現場であっても「学習の遅れ」として片付けられる場合もあるので、日常に潜むささいな気になることであっても、児童指導員に折を見てお話いただけるとよいでしょう。